西表パイン園のあゆみ | ||||
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・平成26年5月 パイン園のあゆみ初版 ・平成28年5月 パイン園のあゆみ追記 |
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■芋が中心の食事 |
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■加工用から生食用への転換 これまで発展してきた沖縄のパイナップル生産も自由化の波を受け一気に衰退していきました。西表島でも昭和58年にパイナップル加工場が閉鎖されてからは隣の石垣島にある食品会社に海上輸送での出荷を余儀なくされパイナップル生産農家は窮地に立たされていました。 西表島からいよいよパイナップルが消滅するかに思われた頃、隣の石垣島で郵パックを利用した生食用完熟パインの全国販売が始まりブームになりました。 この手法を取り入れて西表島でも若い生産農家が生食用完熟パインの郵パック販売を開始、郵便局のネットワークを駆使した取り組みで注文が殺到しました。 |
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■インターネットとの出会い パイナップルの生産に励んできた父が平成5年4月に病が原因で他界した後は母(ヨシ)が島に残り一人でパイナップルの生産を継続していました。 収穫したパインは都会に暮らす子や孫達に贈ったり、関東に暮らす二女(直子)が経営する美容院でお客様から注文を取り発送していました。そして残りは海上輸送で石垣島に送る事しか方法がありませんでした。 平成7年(1995年)当時千葉県成田市に暮らしていた私は夏に届く母からの完熟パインを全国にPRしたい。その思いで休みを利用し、当時世界的に広まりつつあったインターネット(IT)をマスターすべく秋葉原通いをし、関連機器を取りそろえて行きました。 ■西表パイン園の誕生 翌年の夏(平成8年)独学でHTML言語をマスターし西表島の美しい風景写真を取り込んだホームページが完成し 母が生産したパイナップルの注文をメールで受け付けたのが西表島産完熟パインのインターネット販売の始まりです。農園の名称を「西表パイン園」とし、それに合わせて製作したオリジナルの箱に商品を満載し生産者(ヨシ)とともに画像で紹介する手法は当時としては画期的と評価されました。 |
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■後継者になって 転勤族として日本全国を家族で異動し32年間お世話になった役所を早期退職し妻(育子)と共に高齢の母の住むこの地に戻ったのが平成22年の春でした。 父亡き後一人でパイナップル生産に励んできた母(ヨシ)から美味しいパイン造りのノウハウを受け継ぎ発展させていく事が父や母に対する親孝行だと思っております。 現在ではパイナップルの種類も増え加工用から生食用に変化して来ましたが、美味しいパイン造りの基本は今も昔も変わらないと言われています。 母(ヨシ)の言葉に「パインもわが子の様に愛情をもって育てれば良く育つ」を肝に銘じ日本一美味しいと評価されるパイン生産者を目指しこれからも日々勉強してまいります。 |
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■農業生産法人化の会社設立 後継者になり父や母から受継いだ農園をかつてのパイナップル圃場に戻すには並大抵のことではありませんでした。開拓当時のように鍬やヘラで開墾した時代は過ぎ、現在は大型重機の時代です。 退職金もすぐに農業機械の購入費や圃場整備の重機代に消えて無くなりました。 資金面に窮し途中で投げ出したくなる事もありましたが妻(育子)の支えと兄弟たちの協力で困難を乗り越えることが出来ました。 農業は自然が相手の商売です。台風銀座の沖縄では台風を避けては暮らしていけません。 毎年、収穫が完了するまでは気が抜けない緊張の日々を過ごします。 公務員を早期に退職して5年目の今年(4月)西表パイン園を農業生産法人合同会社西表パイン園として再スタートしました。 会社設立の目的に掲げた「農産物の生産・加工・販売」と「農業に於けるICTの活用」に力点を置きながら「最南端の産地から大自然の美味しさを全国に!」をもっとうにパイナップル生産に励んでまいります。 (平成28年5月 合同会社西表パイン園 代表:川満弘信) |
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